花嫁が和装で結婚式をあげるとき、日本髪を「文金高島田」という結い方にします。
「文金」というのは、八代将軍吉宗の頃の小判を文金(ぶんきん)と呼んでいましたので、
文金という名称はその時から始まりました。
文金高島田とはどんな髪型?
◆文金高島田
江戸時代、未婚女性や花柳界の女性が多く結った「嶋田髷(しまだまげ)」という髪型を、高い位置で格調高く結い上げたものです。
高島田とは、髪の根元に巻く「丈長」の幅広さによって区分される髪型の一つで、その中でも最も根元が高く、上品なスタイルを持つのが文金高島田です。
この髷は、かつて上流武家の女性が正式な儀式で必ず結ったものです。
中高島田とは、高島田よりもやや髷が小さく、身分の低い未婚女性が結うスタイルで、京都や大阪では中流以下の女性にも広く利用されました。
一方、芸妓島田は、根元に丈長を巻かないスタイルで、京都の芸妓が格式ある場で結びます。
高島田から派生した形には、娘島田、奴島田(町人が結う高根の髪型)、つぶし島田、投げ島田、芸者島田、京風島田などがあります。
江戸時代には300種類もの髪型が存在し、その中の一つである文金高島田は、もともとは武家の若い女性や遊女が結う髪型でした。
しかし、時代が進むにつれて文金高島田は花嫁の髪型として用いられるようになり、明治時代以降、花嫁の正装として白無垢や打掛を着る際の定番の髪型として定着しました。
かつら合わせ
◆かつら合わせ
かつらを合わせる際は、まげの位置などで印象が変わるので、
自分に似合った、頭にフィットするものを選びます。
頭にすっぽりとかぶる「本かつら」が一般的ですが、
自分の髪を利用して結い上げる「七分かつら」「五分かつら」もあります。
かつらの色は、黒以外に茶系のものもあります。
地毛で文金高島田を作るのに髪の長さは
文金高島田のボリュームと形状を保つためには、一定の長さの髪が必要となります。
通常、髪の長さは肩下15センチ以上、前髪は鼻先程度の長さが必要になります。
ただし、それぞれの人の髪の量、髪質、技術により結果は異なりますので、それぞれの髪型によって必要な髪の長さは変わります。
また、地毛だけでは難しい場合や髪が短い場合、ヘアエクステンションやウィッグを使用して形を作ることも一般的です。
文金高島田の重さ
文金高島田は、その豪華な装飾と共に約1kgの重さがあると一般的に言われています。
その華やかさは視覚的な魅力を持つ一方で、それに伴いその重量も増すことになります。
しかし、最近の傾向として、軽量化された400gから500g程度のものもりようされるようになりました。
それでも、それなりの重さを頭に乗せて長時間、式に参加することが求められます。
ぴったりのものでないと頭痛がおこることもあるので、かつら合わせは念入りに。
文金高島田にかぶるのは綿帽子か角隠し
文金高島田という伝統的な日本の髪型には、特定の装飾品やカバーをかぶることがあります。
それには二つのタイプがあります。
綿帽子
◆綿帽子をかぶる花嫁
一つ目は「綿帽子」と呼ばれる白い袋状の布です。
その起源は室町時代の「嫁入り記」に記述が見つかっており、当初は大奥の女中が外出時に着用していたとされています。
しかし、その後次第に婚礼時の装束として若い女性に広まっていきました。
綿帽子を着用するのは白無垢のみとされています。
角隠し
◆角隠し
二つ目は「角隠し」です。
これは帯状の布で、文金高島田を覆うようにつけます。
角隠しは、江戸時代の女性が外出時に魔除けやほこり防止として着用していた揚帽子(あげぼうし)が原型とされています。
「角を隠して夫に従順に従う」という俗説もあります。
角隠しは、白無垢、色打掛、引き振袖など様々な衣装に合わせて使用することができます。
文金高島田 ぶんきんたかしまだ 日本髪/地毛/綿帽子と角隠し 着物用語・まとめ
明治時代以降、花嫁の正装として白無垢や打掛を着る際の定番の髪型として「文金高島田」は定着しました。
文金高島田を結うには特別な技術が必要で、結える人も減り、多くはカツラを使用しています。
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