「藍染の着物」といえば日本の庶民の衣類の代名詞。
江戸時代中期ごろから末期にかけて、庶民の間で着用が盛んになりました。
それは原料のワタ(綿)の栽培が盛んになるにしたがって広まります。
木綿の着物は、仕事着及び日常着です。
それを織っていたのは農家の主婦です。
この手仕事を細かく再現している愛知県の「三州足助屋敷」を見学してきました。
昭和30年代ころまでは、農家で当たり前に見られた機織りの風景が見られます。
当時の一般的な農家の部屋で、藍染の木綿の反物がつくられていた様子です。
藍染めの木綿の反物の製作工程
◆藍染の工房
木綿の着物の染色といえば、「藍染め」です。
ここでは糸が染め終わったところから紹介します。
作業のはじめはたて糸を整えるから
硬いブラシのような毛先のもので、たて糸をまっすぐに整える様子です。
反物の長さは通常12メートルほど、長いものは13メートルほどになります。
これを何十本も緩みなく整えるのは、容易なことではなさそうです。
たて糸をはる作業
そして綾をとりながら、整経台にたて糸を張っていきます。
筬(おさ・織物の縦糸をそろえ横糸を押し詰めて織り目を整えるための、織機の付属具)に上下一組ずつ、たて糸を通します。
千切りに糸を巻き取ります。
綜絖(そうこう・織り機の一部品でよこ糸を通す杼 (ひ) の道をつくるためにたて糸を運動させる用具)に通します。
綜絖に通した順に再度筬に通します。
こうしてようやく横糸を通す、よく見かける機織りの作業に入ることができます。
機(はた)を織る
横糸を杼 (ひ) の中におさめ、糸を上下させた間に通し、筬でたたき糸を詰めます。
杼 (ひ) は上下の糸の間をすべらせるように移動させ、力の加減を一定にして筬でたたきます。
機を織るのは規則正しい連続動作です。
機織りの音ならテレビなどで聞いたことがあるかもしれません。
何日もあるいは何十日もかけて織りすすみます。
織り上がったら伸子張り
その後は、たて糸につけてある糊を落とすため、湯通しします。
そして伸子(しんし)という細い竹を幅いっぱいに張って、反物を乾燥させます。
写真一番右です。
木綿と縞見本
◆綿と縞の見本
木綿と模様である縞(しま)の見本もありました。
綿は写真の手前のホワっとふくらんだもので、収穫後ゴミなどをとりのぞきます。
この綿から細く引いていき、糸にします。
染める色の濃さを調整して、藍色の糸をつくります。
好みの縞模様にするため糸の組み合わせなどで、個性的な縞模様の反物をつくります。
「縞(しま)模様」の見本は非常に多くの種類があります。
◆縞模様の見本
藍色の濃淡を使い分けた糸で、着物の縞模様のおしゃれを楽しんでいたのですね。
藍染めの木綿の反物ができるまでの制作工程・愛知県三州足助屋敷の資料より・おわりに
昔は当たり前の手仕事であった、着物の反物を作るという仕事。
ですが機械織りが普及したこと、洋服への需要が高まったことなどから機を織る女性は激減。
現代作られている木綿の反物は、ほぼすべてが機械織りです。
見学させていただいた「三州足助屋敷」では3万円で一反が販売されていました。
縞木綿で作られた小物もありました。
消えつつある藍染の反物を織るという手仕事を、丁寧に再現しているところです。
三州足助屋敷について
◆三州足助屋敷
「三州足助屋敷」は昔の手仕事を残し、体験もできる施設です。
◆三州足助屋敷内 牛と井戸
愛知県豊田市足助町にあり、紅葉で有名な香嵐渓というところです。
農耕用の牛がいて、鍛冶屋、染物屋など昔の農村が再現してあります。
<関連ページ紹介>
◆木綿の着物・合わせる帯と着る季節
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