朝ドラ「あさが来た」にみる帯締めの歴史
明治時代の女性実業家広岡浅子の生涯を描いたドラマ「あさが来た」。
今放送中の時代は明治27(1894)年、日清戦争が起こり、軍需景気で明治の日本は沸いている頃です。
銀行の事業も炭鉱の事業も軌道にのせ、婦人雑誌や新聞に取り上げられる名士になっています。
そんなあさが次に打ち込もうとしているのが女子教育で、女子大設立へと突き進んでいるところです。
この時代になると、あさやあさのお義母さんの姿を見ていると、以前と違っているところに気がつきます。
それは帯締めをしていることです。
それ以前の衣装では帯を広い幅で締めているのですが、帯締めはしていません。
帯締めとはいっても現代よく使われている組紐の帯締めではなく、布の帯締め、つまり丸ぐけの帯締めです。
明治20年代から30年代のころは、まだ女性の帯締めは丸ぐけのものがほとんどで、組紐の帯締めが先進的な女性によってようやく使われ始めた頃です。
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帯締めの歴史・豆知識
そもそも「帯締め」の始まりは文化年間(1804年~1817年・江戸末期)で、当時人気のあった歌舞伎役者が衣装の着崩れを防止するために、帯の上に紐を締めたことがその始まりとされています。
その姿がカッコ良かったのでしょうね、それを真似るのが女性の間で流行し、「これは便利だわ」ということから「帯締め」が庶民にも定着していきます。
この時代は細い棒状にした綿を、布でくるんで縫い留めた(くけた)ものが帯締めです。
組紐の帯締めが使われるようになるのはもっと後ですが、組紐が帯締めになるにあたっては、明治9年(1876年)の「廃刀令」が関係しています。
刀を持たなくなったことで、刀の下緒(さげお)に使われていた組紐がいらなくなりました。
そのため組紐職人の仕事が減り、技術を帯締めの組紐に生かすようになったという経過があります。
帯締めとして組紐を使い出したのが明治の中期ごろのようで、様々な組紐ができ広まるにつれて、丸ぐけの帯締めとともに併用され、次第に丸ぐけの紐は使われなくなっていきます。
組紐の帯締めが主流なワケ
帯締めには大きくわけて「丸ぐけの帯締め」と「組紐の帯締め」があります。
帯締めには帯を留めておく力がかかりますから、布よりは組紐の方が強度があることでしょう。
また種類も多く変化にとんだ組み方があり、何色も使った編み方も可能なのでより装飾性があります。
組紐が主流になったのには、このように丸ぐけ紐よりも良い点が多いから当然でしょう。
現代丸ぐけの紐を使うのは、花嫁さんの帯締めと黒留袖の帯締めくらいです。
それさえも組紐の方が圧倒的に多くなっていると思います。
朝ドラ「あさが来た」にみる帯締めの歴史まとめ
NHKの朝ドラ「あさが来た」で明治20~30年代の時代背景では、女性の帯を留める帯締めは「丸ぐけ帯締め」がほとんどです。
この時代以降に、組紐の帯締めが登場するようになりますが、庶民が組紐の帯締めをするのはずっと後になてから。
丸ぐけの帯締めは手製で作れるもので、綿を棒状にして布でくるんだものです。
現代は組紐が当たり前ですが、大正時代の着物の着こなしに人気があり、その着こなしをするにあたっては、「丸ぐけの帯締め」を合わせることも多いです。
現代ではファッションとしての着物を自由に楽しめるので、「平組の帯締め」「丸組の帯締め」を使い分け、時に「丸ぐけの帯締め」も利用して、好みの着こなしを楽しんでください。
「丸ぐけの帯締め」は細いものなら半幅帯にも合いますし、カジュアルな着こなしができるでしょう。
「丸ぐけの帯締め」を自分で作ってみたくなったら→ 丸ぐけ帯締め(丸ぐけひも)の作り方・誰でもできる写真手順付き←綿でなく毛糸を入れる簡易版で紹介しています。