絹糸である着物の生地は、繭から引いた糸で織ります。
先日、「生糸ひき」を初めて体験してきました。
製糸工場で生糸を引いている写真を見たことはあっても、実際手で引くなんてもうできない体験と思っていました。
体験できたのは、「日本昭和村」(岐阜県美濃加茂市)です。
(※2018年4月から「ぎふ清流里山公園」に名称変更)
ここに「かいこの家」という施設があって、昭和の里山の暮らしが再現してありました。
そこでは蚕を飼い、繭を作り、生糸にしている当時当たり前の暮らしぶりが再現されています。
(写真撮り忘れ、ごめんなさい)
そして日齢15日と23日のお蚕さんが、むしゃむしゃと桑の葉を食べ続けている姿を見ることができました。
手の平にとって、じっくり観察もできました!
日本昭和村の「かいこの家」でお蚕さんとふれあう
岐阜県美濃加茂市にある日本昭和村、「かいこの家」の玄関先にお蚕さんがいます。
50センチ四方ほどの大きさの浅い箱に、桑の葉がたっぷりはいって、お蚕さんが桑の葉を食べ続けています。
この箱のお蚕さんは日齢23日で、あと一週間ほどしたら食べるのをやめて、繭を作りはじめるそうです。
手のひらにのせてみました。やわらかくて白くてかわいいですよ。
子供のころ家で飼っていたことがあり、繭を作る様子や成虫になる姿まで見ているので、抵抗はありません。
何十年ぶりかでお蚕さんを見ますが、ここ昭和村に再現している里山は昭和30年代を想定しています。
そのころはまだ養蚕を兼業していた農家はまだまだあったのですね。
蚕の一生
蚕は小さな卵から生まれて、約30日の間に何度か脱皮して成長し、繭をつくり成虫になって飛んでいきます。
そして交尾して卵を何十個と生んで、一生を終えます。
そうしたお蚕さんの一生を学べるようになっています。
下の写真は自然界にいる「天蚕」と呼ばれる蚕です。
繭は黄色で、お蚕さんは緑色をしています。今ではほとんどいないのでしょうね。
これは生糸用に飼っているお蚕さんが繭を作る場所で、「まぶし」といいます。
繭を作るのに自然に上の方にあがっていくそうで、上がると重みで回転するようになっていて、すると上の方がまた空くので繭を作れるのだそうです。
繭の中でも生糸にできない繭もあるそうです。少数ですがそうした繭は、広げて綿の状態にして、布団綿の一番外側に使うそうです。
きっと温かい布団になるんですね。
生糸ひきについて
日本昭和村の「かいこの家」の玄関先に真っ先に目についたのが、生糸を引いている様子です。
小さな鍋にお湯があり、中に繭がころがります。
繭の一か所から細ーい糸が出ているので、繭5個~7個分をまとめて、糸車で巻き取ります。
一本は細くて見えないくらいで、5本になるとようやく見える(老眼なのでようやく見える?)太さになって、巻き取りしています。
ですから反物で織るときは、一本の糸といっても、繭が5個~7個分の糸の束ということになります(たいていは7本で一本にするそうです)。
巻き取った糸車の糸を押してみたのですが、キュっと固かったです。
もちろん光沢もありました。なんだか釣り糸のようでした。
動画はとったものの写真を忘れてしまいました。。。残念。。。
絹糸の着物は、お蚕さんが作る繭からできるとは知っていながらも、
こうして実際に多くの繭が元になっていると思うと、大切に扱わないとと思えます。
化学繊維にはない、肌触りのよさ・光沢・すべりのいい感触、絹は素晴らしいですね。
お蚕さんに感謝して、これからも着物と付き合っていきますね。
施設内の様子は大きく変わっていませんが、生糸引き体験そのものは2018年9月に行ってみたところ、やっていませんでした。
お蚕さんの一生に関する展示はありましたし、兼業農家の再現はそのままでしたよ。
◆色をつけた繭玉、絹糸、白い絹地
◆昭和30年代の絹の反物・約60年前のもの
旧昭和村・ぎふ清流里山公園の今
広い敷地内には、昭和を懐かしめる、民家や炭焼き小屋、登り窯、ロバのパン屋さん、
駄菓子屋さん、おせんべい屋さんをはじめ、昭和の食べ物もいっぱいです。
田や畑もありますし、茶屋で休憩ももちろんでき、のんびりした時間を過ごせます。
ただ懐かしさいっぱいで、胸いっぱいになってしまうかもしれないですよ。
聞こえてくる音楽は、昭和のはやり歌ばかりですしね!おもわず口ずさんでますしね。
中村玉緒さんが名誉村長さんです。
無料で入場できるようになりました。
機会があれば、行ってみてね。
ぎふ清流里山公園(旧日本昭和村) 岐阜県美濃加茂市山之上町2292番地1
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